御宇寺的随筆写真集 その一

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都内とその近郊に、二十年近く暮らしていた。
かなりな年月だと思う。

その間、私は路地に挟まれて生活していた。
震災が起きてしまったらおそらくひとたまりも無い様な
町で、呼吸するのもやっとな狭い部屋に暮らしていた。

もちろん経済的な理由が一番大きかったのだけれど、
私は無意識のうちに路地を生活の一部に求めていた
様に思う。

都会で一人暮らしをする田舎者には、
自分が潜り込める場所が必要だったのだろう。

けれど、私は当時、自分の生活空間を記録に録ろうとも
ちゃんと眺めようともしなかった。

しなかった、のではなく、できなかったのだ。

当時私は色々な思いに振り回されて、
「何をどう見て良いか」
が分からなかった。
いや、「何を見たいのか」が分からなかった。

 

当時ちょっとしたカメラを持っていたから
気晴らしに何枚かシャッターを切ってみたけれど
できあがったそれはどれも気に入らなくて、
かえって嫌悪がつのった。

その嫌悪すら「何に対して」なのか、
ひどく曖昧で実体さえ無かった。

多分私は光が見たかった。

けれどそれに見合うだけの、
きちんとした視力も補正する眼鏡も持っていなかった。

 

先日代々木で中古カメラを手に入れた。

前から気にはなっていた店で、
その日なぜかどうしてもその店でカメラを
買いたくなったのだ。
その店でなければ駄目だったのだ。

 

「初心者に扱いやすいカメラ」
という注文を店主はすみずみまで聞いてくれ、
すぐに一台のカメラを私に持たせてくれた。

ファインダーを覗く。
店主に教えられた通りにピントを
手で合わせてシャッターを切る。

シャッター音を聴いた時、
何か新鮮な興奮が血管を駆け巡った。

初めてロックを聴いた時の感覚だった。

そのシャッター音はボンゾのスネアであり、
マイケル・シェンカーのギターであり
マルコム兄弟のギターであり
ロニー・ジェイムス・ディオの声だった。

アリーナの殺気だった熱狂であり
けばけばしい色彩のライトが一つになった無色の
ステージだった。

ロックしていると思った。

 

カメラを迷わずに買って、
手に新しい重さを感じながら私は代々木の路地を歩いた。

新しい興奮に息を潜めながらシャッターを切った。

 

その何枚かがこの写真だ。

できあがったプリントを見た時、
悪くないと思った。

技術的な善し悪しなどまだ全く分からないけれど、
それでも悪くないと思った。

やっと光を見つめられる目がやってきたのだと信じたい。

(2005-03-09)



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